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アンタス創立15周年 ピンチをチャンスに変えたストーリー 1/2

2019.06.21

Chapter1: 創立のきっかけ

代表取締役 佐藤敏彦

アンタスは2019年5月20日に創立15周年を迎えました。創立を記念して、これまでのアンタスの変化と成長について、そして15年の経験を糧に、さらに大きな翼を広げつつあるアンタスの将来像について、佐藤社長に伺いました。

▼15年の歩みを始めることになった、アンタス創立のきっかけはなんでしょうか?

1986年に大学を卒業して札幌のITベンチャー企業に入社したときから、「いつかは自分で会社を起こそう」と漠然と思っていました。40歳になったときに「定年までの20年、今後もずっとこの会社で働くのか?」と頭に浮かんだことがきっかけです。入社して18年、ソフトウェア開発部門全体を統括する役職も経験し、役員にもなっていました。また新規事業開発も担当していましたので、「もう自分で会社を立ち上げてもいいのかな」とスイッチが入りました。

▼最初に手掛けた仕事は、どんな仕事でしたか?

2004年5月20日に私の自宅の住所で会社登記をして、その後、大通にあるワンフロア20坪ほどの小さいビルで仕事を始めました。当時の社員は私を含めて5人でした。最初はキャリア系の受託開発の仕事を得ることができました。札幌で安定して仕事をするために、東京の企業と太いパイプを作ることが必要と考え、東京の大手SIerと連携して彼らが東京で受注した仕事を札幌で開発するスキームを作る計画をしました。東京よりも札幌のほうが人件費を抑えることができ、エンジニアを集めやすいということも狙いの一つでした。しかし意気揚々と進めたはずが、半年後に呆然とする状況になってしまいました。

▼何が起こったのでしょうか?

札幌で仕事をするために、Slerの担当者と私が打ち合わせのため東京と札幌を交互に往復し段取りを付けていたのですが、結果として最初の数カ月間、発注元が指定する東京のオフィスにエンジニアが常駐して開発をすることになり、札幌で開発するという環境を作ることができませんでした。「このまま仕事を続けると、札幌のエンジニアを東京に吸い上げられる」と危機を感じて、半年で見切りをつけました。

Chapter2:方向転換

▼判断が早いように感じますが、どんな方向へ転換したのでしょか?

そもそも、札幌でエンジニアが育つ環境を作ることを目指して会社を作ったので、東京に常駐する形は、私や当初のメンバーがやりたいことではありませんでした。当時のメンバー全員で頭を突き合わせて、「僕たちができることは何だろう」と半年間いろいろ考えて方向転換を決断しましたが、翌日から「仕事がない!」と呆然としました。(苦笑)

方向性としては、前職で私は新聞社向けに高価な商用機材を使った大型システム開発を手掛けていましたので、この経験を活かすことにしました。基本OSについてはLinuxサーバーが実用で使える状況になっていたこと、MySQLなどデータベースも速くて良いものが出ていました。それらのオープンソースを組み合わせることで、高価な商用システムと同等の機能をもったシステムを低コストで構築できる可能性がありました。このコンセプトを売りにして、インターネット事業者向けにシステム提案し、受託開発を獲得するビジネスへ転換しました。

▼方向転換の成果はいかがでしたでしょうか?

振返ってみると、この決断が大きな流れにつながったと思っています。方向転換したことで、2005年3月にモバイル系の広告代理店から、モバイルサイトを作ってほしいという依頼が飛び込んできて、会社創立2年目にアフィリエイト広告のシステムを開発しました。この事業は今も継続して、アンタスの主力プロジェクトになっています。さらに、そのときの会社と資本提携を結ぶという展開へつながりました。

同じく創立2年目に、以前の勤務先のつながりから、某新聞社のシステム保守運用を手掛けていた部門ごと、人材も含めてアンタスで引き受けることになり、社員数が一気に10人増えました。また、その部門自体は名古屋に所在していたため、アンタスの名古屋オフィスとして組織を拡大させました。

▼名古屋オフィスの業務内容はどんなことでしょうか?

新聞社の常駐保守の仕事に加え、新たに24時間体制で稼働できる運用保守の体制づくりをしてもらいました。アンタスが方向転換した際に、札幌でインターネット事業者向けのシステム開発をしていましたので、その運用保守を名古屋のメンバーに任せることにしたのです。その頃はまだクラウド時代ではなく、名古屋駅近くのデータセンターにラックを2つレンタルしてそこに預かったサーバーを置き、ハードウェアも含めた運用保守を行っていました。この時から、システムの設計・開発からその後の運用保守業務までを一気通貫で受注できる、2段構えのサービス提供スタイルが整いました。結果的に事業拡大の流れができていました。

▼他に手掛けた事業や転機などはありましたか?

東日本大震災の後に、橋や道路などの維持管理システムを2~3年手掛けたこともあります。その時の縁で、アンタスに入社することになったのが、現在開発部全体をマネジメントしているベテランエンジニアです。彼と一緒に仕事をすることになったことも大きな転機ですね。

※次回は「Chapter3:アンタスがチャレンジしていること」をご紹介します。